アートとテクノロジー
チューブ絵の具が実用化され、画家たちの野外制作を能となった。そして、野外で光を追求する印象派の画家たちが現れた。
技術が進歩し、写真撮影時の露光時間が短くなっていき、大判のフィルムに加えロールフィルムが開発され、カメラが小型化していく中で、カメラを持ち歩くことが可能になり、撮る対象の拡大に繋がった。ストリートスナップなどは小型カメラがなかったら現れなかったジャンルだろう。
テクノロジーの進歩がアートに影響を与えてきたことは事実だろう。
現在は、フィルムカメラに代わりデジタルカメラが主流となっている。カメラのデジタル化により様々な変化が起こった。
暗室での作業がなくなり撮影後の補正や加工が容易になった。これにより表現方法が拡大された。ISO感度が拡大していき、暗い場所でもハイスピードのシャッターが使えるようになった。これにより撮影場所や時間の選択の自由度が高まり、撮影対象が拡大していった。森の木陰で絞りを開放にせず、ハイスピードシャッターで動き回るリスを撮影する等はかつてはほぼ不可能だっただろう。
感度の向上でピンホール写真も普通のシャッター速度で撮影できるようになった。撮影方法の多様性が生まれ、表現できるものが増えていった。
撮影枚数の増大によりメモリーとバッテリーさえ許せば数千枚の写真を撮影できる。しかも、撮影画像をその場で確認できることで一枚の写真撮影にかける時間が短縮されミスが減った。プリンターさえあればプリントは自分でできるようになった。(そもそもあまりプリントしなくなり、ほぼ液晶画面で写真を見るようにはなっているが) これらの恩恵により写真撮影にかかるコストは下がっていった。(フィルム代と現像代がない)
またカメラ側の調整機能も向上し、動く対象にピントを合わせ続けたり、被写体を判別したり、瞳を狙ってピントを合わせたり、今まである程度技術が必要とされた撮影が容易に行えるようになった。
動画撮影の普及と高画質化により動画を撮影して、そこから一シーンを切り出して静止画にすることも可能となっている。これを行うことで一瞬の決定的瞬間を狙いシャッターを切るという作業がなくなり、『写真を撮る』という行為の意味や重要性が変わってくるだろう。
またプリントできるメディアは拡大し、UVプリントによるキャンバスプリント、アクリルプリントが可能になり、それに加えてトートバッグやマグカップなども写真のベースとなりうる。
こういった撮影プロセスの簡略化、撮影後の加工の容易さというものが批判の対象になることもあるかもしれない。(フィルム時代はそれ相当の技術や知識が必要だったことが簡単にできてしまうと、技術を習得した方々からすれば多少面白くない気持ちもあるだろう。)
様々なデジタルVSアナログ議論があるが、今チューブ絵具や小型カメラを批判する人がいないように、この論争はいずれ収束するのかもしれない。CDが登場した時にも保存性やレコードとの音質差などが議論されていたが、それを今議論されることは一部を除いてはあまり無いのではないか。
テクノロジーがアートの可能性を押し広げ新しい潮流や手法を生んできた歴史を考えると、テクノロジーの進化によって生まれたデジタル写真ができること、デジタル写真にはできるがフィルム写真にはできないこと、まだ気付かれていないデジタル写真の可能性を探求していくこともまた重要ではないかと思う。
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