知覚の限界とテクノロジー

 


テクノロジーが進化すると不可能だったことが可能になる。カメラのISO感度が上がっていけば今まで撮影できなかった暗所での撮影や暗所でのハイスピードシャッターの撮影が可能になる。解像度が高くなっていけば遠方の物も細部まで鮮明に撮影できるようになり様々な研究活動や調査の役に立つだろう。ダイナミックレンジが広くなっていけば、今まで一部は白飛び、一部は黒潰れになっていた写真を全範囲にわたり飛ぶこともなく潰れることもなく撮れるようになる。

写真によって馬が走る時の足の動きが解明されたように、カメラが進化して今まで撮れなかった映像が撮れるようになると、今までわかっていなかった様々なことが判明していくのだろう。

3Dプリンターも速度が早くなり、小型化し、値段が下がっていくと使用する人が増えていき、新しい表現方法が次々と発見されていくのかもしれない。

ものの姿をあるがままに平面に転写するのが写真なら、3Dスキャナーと3Dプリンターはそれを3次元で転写できる。(色の再現が難しそうだけど)

目の前のりんごを3Dスキャナーでスキャンし、3D プリンターにそのデータを入力すると、立体物のりんごが出力される。私たちは3次元世界に住んでいるので、これが究極の『写真』になるのかもしれない。(昔写真が白黒だったように、3Dプリンタで作ったものは単色だけど。これもいずれどうにかなるのかもしれない。)

そのためには、同時に上下左右全ての方向からものの形を記録する必要がある。小さなものなら3Dスキャナーで物体の周りをくまなくスキャンしてその物体の三次元データを作ることは可能だ。

しかし、建物とか大きなもの、山や海などの遠方にあったり広大な面積や体積を持つものを三次元的にスキャンすることは可能なのだろうか。衛星による地形スキャンなどもあるので技術的には可能だろうが、かなりスケールの大きい話だ。

仮に技術的に可能だとしても出力された立体物を保管しておく場所の問題も出てくるだろう。平面の写真なら何枚も重ねて保管できるが、実物の大きさから縮小したとしても立体物となるとそうもいかない。HDDにデータを保管して必要な時にモニター上で視点を変えながら様々な方向からそれらの形を見るのが実用的なのではないか。

衛星による地形のスキャンは地形を立体物として三次元の立体として出力して研究をしたりするのだろうか。やはりモニター上での研究が主なのか。

結局は立体物を正確に立体物として転写するテクノロジーが普及していったとしても、それを見る時には立体物としてではなく、平面のモニター上で見て、視点を変えながら平面映像を見て、それを脳内で処理して仮想の立体物として認知するというのが一番実用的な方法になるのかもしれない。

立体物であったものを平面上に転写した痕跡を脳で処理し立体物として認知する、というプロセスは人間が得意とするものなのではないか。

そもそも、人間はものを見るときに目のレンズを通して入力された光を網膜という平面のセンサーに投影させ、その際に作られたデータが脳に送られ画像として認知する。

網膜に立体物が投射されたこの時点ですでに物体の次元が一つ失われている。人間には目が二つあるので、左右の目の網膜に投射された二つの平面画像の差異を脳内で処理することで立体感を感じることができる。

しかし、脳の補正により立体感を感じることはできるが、そもそも脳が扱っているのは扱っているのは平面化された三次元物体のある一面のデータである。

三次元世界に住んでいるとはいえ、私たちが今立っている場所から見える景色はたったの一方向から見た像だけであり、同時に上下左右から物体を見ることはできない。

本物は三次元の立体物なのだが、人はそれを一方向からしか見られない時点で、平面化されたイメージ自体もまたある意味本物なのかもしれない。

このことから考えると、三次元世界に住んでいるからといって何でもかんでも三次元に還元しなくても良いのではないか、とも思う。三次元世界を二次元の平面に押し込めて、それを脳が処理して仮想立体物として認識できればそれでいいのかもしれない。

写真の進化を考えると、写真撮影の時間が短縮され、カメラが小型化し、画質が良くなり、白黒からカラーになり、感度やダイナミックレンジが向上し、デジタル化により現像の手間が省け、後からコンピューター上で様々な処理できるようになり、AI により実際あるものを消して背景を補正したり、表現できる幅が格段に広がった。

テクノロジーの進化により写真は被写体となる物をより忠実に描写できるようになってきた。

もう残すところ次元の問題だけなのかもしれないが、ある立体物を一方向からしか眺められず、平面画像を見た時にそれを脳内で立体物として翻訳を行ってきた私たちにとっては平面の画像で十分なのではないかと思う。

未来の写真展が立体写真展になって今の彫刻展のようになっていくのも面白いと思うけど。

そうなると、今度は立体写真VS彫刻、的な議論が起こるんだろうな。いや待てよ、そこまで進歩した時代なら芸術論ももっと先に行っていて、そういう議論さえ起こらないのかもしれない。














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