境界の消失
写真に何かを写すことにより様々な境界が消失していくのではないだろうか。
3次元空間に存在する物体は、それぞれの物体の距離という境界により隔てられている。
しかし、それら異なった距離に存在し、距離によって隔てられた物体たちが写真という2次元世界に転写される時、距離の境界は消失し、すべての物体が同じ平面に取り込まれる。
写真は同時に時間の境界も消失させてしまうのではないだろうか。過去と現在の間には境界があり、過去に起こった出来事は時間の経過とともに消え去り、現在それを見ることはできない。
しかし、過去のある出来事が写真に転写されることにより、時間の境界を超え、過去の出来事を現在も見ることができる。
あるものと別のものを異なった物としている、それぞれのものが持つアイデンティティの境界も写真に転写されることで消失していく可能性があるのではないだろうか。
空間に存在するものの一部だけを切り取ることで、それを特徴づけている要素が欠落して他のものとの区別の手がかりが消失し、どれも同じようなものに見えてしまう可能性もある。
例えば、海の写真でもただ水平線のみを撮影し、周りの景色の中にある植物などの自然物や建物、人、看板、車など、その場所を特定する手掛かりとなるものが画面に入らないように切り取られた場合、その海はアイデンティティを失い、他の海と区別がつかなくなる。
複数の写真が重ね合わされた時は、境界の消失がより多く起こる。写真の中には通常、被写体と背景の境界が存在するが、写真が重ね合わされるとその境界は曖昧になり被写体と背景が溶け合ってゆく。違う場所や時間に撮影された写真が重ね合わされると、場所や時間の境界が消失してゆく。また写真に写っているもの同士の輪郭の境界も曖昧になり、溶け合い、新たな形状が生まれてゆく。
消失による拡大
写真に撮影されたもののアイデンティティが消失することで、被写体に対する解釈の多くは鑑賞者に委ねられる。写真を見たときに鑑賞の脳内に誘起されるイメージの幅はアイデンティティが明確なものを見た時よりも広がっていくのではないだろうか。
写真の中でどのような境界を消失させ、何を新しく生み出してゆくか、というテーマは今後の自分の制作活動の一つの指針となっている。
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