痕跡
■痕跡
シンディーシャーマンの写真の解説をアート写真の本で読んだ。
彼女の写真は『今そこに存在しないものの痕跡を描く』と書いてあった。
ある行為の結果が痕跡を残し、それが映像として静止したまま存在する。
行為そのものよりも、その痕跡のほうが『行為自体』に対してだけではなく『その行為の意味』、『その行為の重要性』まで思考を拡張させることができる、という解説だった。
何かを引き起こす際に最も重要である『行為』にではなく、その結果である『痕跡』に焦点を当てることで鑑賞者のイマジネーションが広がっていくのか。
例えば『コップを割るという行為』が写った写真を見た鑑賞者は『何で割るんだ?』『何があったんだ?』くらいには思うかもしれないが、関心の中心は『行為自体』に偏ってしまうのではないだろうか。
一方、その行為の痕跡である『床の上に散らばったコップの破片』の写真を見た鑑賞者は、『何か事件が起こったのか?』『ガラスは脆いものだ』『何かに対する警告なのだろうか』と、『コップを割るという行為』を写真から取り去ることで、その行為自体に注目しなくてよい分、その写真を見たときのイメージの幅が広くなっていくのではないかと思う。
■何かを取り去るによって誘発されるイメージの拡張
写真の中から『行為自体の映像』を取り去り、『その痕跡』だけを残すことで、思考の拡張が行われる、というように自分は理解した。
写真は対象物から『時間や場所を特定する要素』を取り除くことができる。
それにより、それを見た鑑賞者の脳内に誘起されるイメージの幅が広がるのではないかと思う。
例えば『海の写真』から『時間や場所を特定する要素』を取り去ることで、鑑賞者はそれを自分の記憶の中の『海』にリンクさせ、様々なイメージを脳内に浮かべることができるだろう。
時間と場所の特定の手掛かりになる要素を取り去るだけでなく、その対象物のアイデンティティーを取り去ることで、鑑賞者がその写真を見たときに誘起されるイメージはさらに広がっていく。
この記事の最初に載せている写真は『雪』の写真だが、鑑賞者によって別のものに見えてくるのではないかと思う。
画面いっぱいに雪を捉えることで、対象物である雪のアイデンティティーが消失し、鑑賞者のイメージの増幅につながるのではないだろうか。
写真から『行為』を取り去り、『痕跡』のみを映し出す。
被写体の『アイデンティティー、時間や場所を特定する要素』を取り去る。
写真は『何かを取り去る』ことにより、写真を見た鑑賞者の脳内に想起されるイメージがより広がっていくのではないかと思う。
自分は対象物からどんな要素を取り去ることで、どういう結果を写真によって引き出せるか考えようと思う。
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