写真展とレビューにおける対話

 


写真展とレビューにおける対話

作品作成のマテリアルとして写真を使っている以上は、常に『写真とは何か』という問いは自分の中に持ってなくてはならないと思う。

そこで『写真論』の本をいろいろ読んでみたりして『自分にとって写真というメディアはどういうものなのか』『そのメディアの特性のどの側面を使い何を表現するのか』という問いの答えを見つけようとする。

しかし、作家一人だけでできることには限界がある。自分の頭の中だけで今の自分を超えた思考を生み出すのはなかなか難しい。



そこで『レビューと写真展』を通じて他者と作品について会話をし、他者の目を通して自分の作品を再評価する』という作業が重要になって来るのだと思う。

実は作品を作っている本人が『わかってない』ことというのは多々ある。

その『わかってない部分』というのは先ほどのレビューにおけるレビュアーとのトークや写真展の会場の観覧者とのトークによって明らかになっていくこともある。

また、作品についての他者との会話の中で『作品を通じて自分が伝えたいこと』が鑑賞者に違った形で伝わっていることが明らかになることがある。

また写真展やレビューに向け、ステートメントを書き、『思考を文章化』していく過程で、今まで自分の中で明確ではなかった『作品の本質』に気づくこともある。



そう考えると、『作品』というのは『鑑賞者』と『対話』があって初めて成り立つものなのだと思う。レビューや写真展の場で他者との意見交換というのはもはや『作品の一部』なのかもしれない。そして、鑑賞者が『自分の作品を見て感じ取ったこと、脳内に想起されたこと』もまた『作品の一部』なのかもしれない。



『ある思考や仮説』が作家の中に存在し、それを『実験、実証』するための『作品』というマテリアルが作り出される。その作品を鑑賞者が見ることで、作品を介した『他者との対話』が生み出され、それが『作品の元となった思考、仮説の実証が作品により正しく行われたかの確認』の場となる。

次のグループ展ではこれを意識して、鑑賞者といかに対話するかを考えていこうと思う。




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