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Readymade

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  マルセルデュシャンの作品は既製品を作品として展示し、芸術とは何かを世に問うた。 既製品ですら、アーティストの明確なコンセプトが背後に存在すれば、それは芸術品と呼べる、ということを明示した。 写真とは『すでにこの世に存在する誰でも目にできるもの』をメディアに忠実に写しとる物である。 大抵の場合、『ただ忠実に既成のものを写しとる』という行為により、写真としての役割は十分に果たされる。 しかし、芸術作品としての写真を考える時、ただ既成のものを忠実に写し取っただけの写真では、『ただ既製品をギャラリーに展示する』のとほぼ同じになってしまうのではないだろうか。 写真という既存のものを写し取った『レディメイド』を作品に昇華させるには、作品としての『コンセプト』という裏付けが必要なのかもしれない。 ポートフォリオレビューに参加したり、展示をしたりするときには、作品についての質疑応答のために明確な作品コンセプトを提示しなくてはならず、最初のうち作品についてのステートメントを書くことは非常にやっかいなことに感じていた。 しかし、芸術作品としての写真を探求するのであれば、明確なコンセプトを提示することは不可欠なことだとわかってきた。

Equivalent (2)

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  最初は雲の写真なんで『どこで撮っても一緒だから』『誰が撮っても』 Equivalentsなのかと思っていた。 またスティーグリッツ自身は作品の縦横を気にしていなかったようなので『作品の向きがどっちでも一緒だから』 Equivalentsなのかとも思った。 そこでChar GPTに聞いてみたら まずスティーグリッツは 『 雲の写真に写るイメージは単に雲を表しているだけではなく、感情やある精神状態を誘発するものなのだ。 』、 『 写真は外部の現実というよりもむしろ抽象的な概念や内面の感情を表現できる 。』 という考えを持っていたらしい。 Equivalentsという名前をつけるにあたっては 『 それらの写真はそれらを鑑賞したものの中に湧きあがった感情や思考と同一のものである 』と提示することで、それの写真が持つ象徴的、感情的な重要性を強調しようとした。 と、多分書いてあった。(訳が間違っているかもしれないけど) 『写真 = 鑑賞者の感情や精神状態』というこのなのか? たぶんもっと本を読んだりすると違った解釈もあると思うので、研究続行。

Equivalent (1)

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  写真論の本に出てくる、写真のインデックス性についてはだいたい理解した。 記号論の本だけではなかなか理解しづらかったけど、いろいろ調べると、大学の論文とかもヒットする。そういう文献も理解の助けになった。 次に出てきたのがスティーグリッツの『イクイバレント』という雲の作品。 『同等物、同意義、同価値』的な訳の言葉だけど、何に対しての同等性なのか。 ここの理解がまだできていないけど、自分の写真の正体を知るひとつのヒントになりそうな予感がする。 自分は雲じゃないけど雪の表面とか山の斜面ドアップとか、けっこう物の正体をぼやかしてテクスチャーだけ拾ってくる写真が多い。なんでそうなるのかはよくわからないけど、物自体よりも集合体が作り出すテクスチャーというか模様というか、そういうのが好きなのかもしれない。 写真論の本を読み始めると、けっこう自分の写真について理解しないまま撮ってるということに気づかされる。 自分の写真がどういうジャンルに属しているのか、どういう理由でそうなったのか、説明するためのボキャブラリーがないと自分の中で腑に落ちないまま撮り続けることになる。 難解なことが多いけど、難解なことに出会うたびに色々調べてボキャブラリーを増やしていこう。 果てしない。